No Risk High Return

クライミング、サイクリング、ランニングで出会った瞬間をメモってます

逆説の日本史1 を読みました。

峠越えをしているので奈良を走ることが多くなりました。
奈良といえばやはり歴史です。


僕はこれまでろくに歴史を勉強してこなかったので、平城京以前の奈良の姿についてはまったく何も知りません。
せっかく奈良を走るのに予備知識がなにもないともったいないので↓この本を読んで勉強することにしました。

 

逆説の日本史1 古代黎明編/封印された「倭」の謎 (小学館文庫) by [井沢元彦]


井沢元彦氏の本はこれまで読んだことがありませんが、アマゾンレビューを見ると賛否さまざまでした。
おもしろいとか、新しいとか、の好評がある一方で、決めつけが多いとか、思い込みが激しいとか、根拠に乏しいとか。


歴史学では、どんなに調べても議論を尽くしても結局タイムスリップできない限り真実はわかりません。
だからとんでもなく一般から外れた論を展開しても、それが論理的に整合性が取れているのならば、そして残されている資料と矛盾していないのならば、そしてそれを現代の差別と結び付けないのならば、どんなことを言っても自由だと僕は思います。


井沢氏の主張は、ところどころ飛躍があるものの、ドラマチックかつ説得力がありど素人の僕にとってはただただおもしろかったです。


たとえば、
出雲大社は国譲りを迫られたオオクニヌシの霊魂の牢屋である。
AD248年、皆既日食があったためヒミコの霊力に疑義が生じ、ヒミコは抹殺された。
宇佐神宮こそがヒミコ廟であり、ヒミコの霊魂がここに閉じ込められている。
伊勢神宮はヒミコを近畿で拝むために創られた拝殿である。
など。


日本史を見る時、これまでの学者に決定的に欠けているのは「霊魂へのおそれ」である。
というのが井沢氏の主張の根底にあります。


なぜそこに神社が必要だったのか?それは殺された敵の魂がタタリ神にならぬようお祭りするためである。
というのが氏の論理です。


梅原猛の名著「隠された十字架」(法隆寺聖徳太子の魂を閉じ込めるため建てられた)に通じるものがありました。