No Risk High Return

クライミング、サイクリング、ランニングで出会った瞬間をメモってます

千早峠を越えました

2/7(日)春の陽気の中、愛車ゴリラモンスーンと千早峠を越えました。


ルート
河南町→R309→水越トンネル→高鴨神社→一尾背神社→千早道→千早峠→千早林道→河南町


記録
9時ごろ出発して1時間ほどで水越トンネルを抜けて御所へ。

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今からあの山を越えるんやで!

 

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左 さんかう山 と読めるけどこの近くにそんな山あったかな?

 

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増のお地蔵様にお参り


山麓線に入ってすぐ東に下って、歴史に彩られた集落の中を南進しました。

 

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南基調で東へ西へジグザグしながらこんな細い農道をつないで進みました。

 

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住吉大社から分社したという御所の住吉神社

 

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天武天皇壬申の乱の後の吉野行幸で立ち寄ったという朝妻神社

 

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伏見の地蔵様と金剛山

左端が千早峠かな?自信ないけど

 

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バブル時代のセドリックが二台たたずむお宅

 

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全国にある鴨、加茂、蒲生などのカモと名のつく神社や土地の総社とされる高鴨神社。
カモとはカミの語源とも言われています。
縄文時代からこの地に住むカモ氏は、古来から祭りを執り行う司祭とされていました。
ここから全国に散らばっていったカモ一族が、各地にカモと名の付く神社を創建したそうです。

 

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山麓線に戻り、久留野のバス停から西南に山を登ります。
こっから一尾背神社が一番しんどかったです。

 

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一尾背神社(ひとおせ)。
天誅組が五條の代官所を襲撃する前に立ち寄ったと言われます。
ここから峠を目指すのが千早道です。


まずは急坂を登ってR310に合流します。

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合流地点のヘアピンカーブの奥、フェンスの切れ間に千早峠への入り口がありました。
見落としそうなぐらい小さな看板です。

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フェンスの切れ間から入るとそこはブッシュでした。

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ブッシュを掻き分けるとそれらしきコンクリ階段が現れます。
コンクリ道は20mぐらいで終わり、そこからは登山道。
あまり人が入っている雰囲気ではありません。

 

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登ってきたヘアピンを振り返る

 

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こんな道を20分ほど進むと荒廃しきったコンクリートの林道に出ました。

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ブッシュが蔓延っています。

 

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林道を1kmほど上がったところで、左の尾根へ導く看板がありました。

わかりにくいですが、写真左方に尾根への取り付きがあります。

 

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ここからは登山道になります。道は非常に緩やか、かつキレイでチャリの押し歩きがむちゃくちゃ楽!
久留野道とは大ちがい。
かつての河内-大和南部の峠越えのメインルートはこの千早道だったんだろうと思います。

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意味もなくシダ

 

1時間ほど押し歩くとひょっこり千早峠に着きました。

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目を瞑れば、天誅組の一行がここ千早峠を越えていく光景が浮かびます。

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文久3年(1863年)8月17日、孝明天皇の大和行幸を機に大和の地に朝廷を中心とする新政府を建てようと企てた公卿の中山忠光天誅組の吉村虎太郎など約300名が河内長野観心寺を出発し、千早峠を越えて五條の代官所を襲撃しました。
天誅組の変です。
太平の世に突如現れた活動家から、大和の行政権を渡せ、と言われた五條代官鈴木正信とその家来は、当然拒否しあえなく処刑されました。
さぞ無念だっただろうと思います。
天誅組については「維新の魁」として賞賛する人がいる一方、原理主義のテロリストと評する人もいます。

 

それはさておき、河内に下ります。

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この下りも緩やかかつキレイな路面で林道入り口ゲートまで一直線です。

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大住谷道との分岐

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千早林道入り口ゲート


千早峠、いい峠でした

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移動図

 

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高低図と心拍数変化

 

ではこれにて